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「偽物の名武偵」
第三章 黄月のプルマージュ

27.正義の扉を開ける鍵

 ←26.世界を揺らす最初の一波 →27.5.終着点へ向かう物語
偽物の名武偵、27話です。




27.正義の扉を開ける鍵

 ――前提として、この戦いに俺の勝利は存在しない。
 当たり前っちゃ当たり前だ。なんせ、今俺の目の前にいるのは、人ならざる怪物。2メートルを越える、鬼のようなこの獣に、俺はケンカを売ったんだから。
 ジャンヌの話によれば、こいつは桁外れに強いらしい。それこそ、凄腕の武偵3人と互角に戦ったジャンヌより、遥かに。
 だから、もう一度言おう。
 俺に、勝ち目はない。
 ――それでも。
 拳の一発でも入れてやらなきゃ、俺の気が済まない。
「さあ、来いよ。それとも、オレから直々に殺しにいってやろうか?」
 獣のくせに人間のように嗤いながら、そいつは俺に対し両手を広げ、迎え撃つように立ちはだかる。
 俺は構えていた拳銃をコッキングしながら、
「それには及ばねぇよッ!」
 叫びながら、高速で引き金を3度引き絞る。すばやく抜き放って撃つ『早抜撃ち(ファスト)』ではなく、連続ですばやく撃つ『早連撃ち(ラピッド)』だ。
 ガガガンッッ! と、セミオートになっていた拳銃――グロック18C――の黒く光る銃口から、9mmパラべラム弾が音速で射出される。
 3発の弾丸はそれぞれ別の目標を目指しながら飛び――そして、獣の体に風穴を開けた。
 着弾箇所は、左右の肩に1発ずつ。そして、右のわき腹に1発だ。あまり射撃のセンスがあるとは言えない俺だが、それでも今はうまく集中できているのか、珍しく狙い通りの場所に全弾命中した。
 ・・・命中は、したんだが、
「な・・・っ?!」
 俺は、目の前で起こっている出来事を見て、目を驚愕に見開く。
 俺が撃った弾丸は、確かに獣に当たった。やつの体の硬度が高いのか、それとも単純に肉が分厚いからかは知らないが、弾丸自体は貫通していない。しかしそれでも、重傷を負わせたことに間違いはないはずだった。
 しかし、現実には、弾丸を浴びて血を噴き出していたそれぞれの着弾箇所は、赤い煙を噴きながら、1秒足らずで治癒されていた。しかも、拳銃が排莢するかのように、体内から銃弾が排出されやがった。
 おいおい・・・人間じゃないとはいえ、そんなのありかよ。銃で撃たれて1秒で完治なんてされてたら、俺は一生撃ち続けても、あいつにダメージを与えられないことになる。
 絶望感に、俺の顔が青くなる。
 そんな俺に、怪物が急に声音を低くしながら、
「・・・オイ。お前、どこで『これ』を教わった?」
「・・・?」
 質問の意図がわからず、俺は眉根を寄せる。
 俺が今やったことなんて、普通に銃を3回撃ったことだけだ。それも、やつの上半身に描かれた、3つの目玉みてぇな白い刺青に目がけて。
 咄嗟にそこを狙ったことに、大仰な狙いはない。そもそも、こんな怪物と戦(や)りあったことなんてねぇから、どこを狙えばいいのかわからなかったのが一つ。そんで、あの目玉模様、それも白の線と黒い体毛で描かれたそれが、強襲科(アサルト)でよく使ってたマンターゲットに似てたってのがもう一つ。あそこじゃ、蘭豹にしこたま撃たされた上に、外れりゃ怒声が飛んでくるからな。つい狙っちまった。まあ、おかげで命中したんだが。
 だが、奴の言う『これ』ってのが何を指しているのかはわからない。
 一体何のことを言って・・・いや。ひょっとして、『早連撃ち』のことを言ってるのか?
 自慢じゃないが、俺は早撃ちを少しだけ得意としている。もちろん他の銃技に比べたら、という意味だが、数少ない俺の得意技と言える。それでも、プロの目から見たら普通レベルかもしれないが。
 と思ってたんだが・・・どうやら、あの怪物が驚く程度の代物にはなっていたらしい。
 俺は、奴の回復力に崩れかけた精神を立て直すために、せめて少しでも優位に立とうと、自慢げに言ってやる。
「ローマでちょっとな。心配すんなよ、なんならもう使わねぇでやろうか?」
 これは嘘じゃない。俺の早撃ち技術は、去年ローマ武偵高に行ったときに、そこで出会った友人に習ったものだ。攻撃の手数を増やしたいと言ったときに、これを教えてもらったんだ。
 俺がそう言うと、怪物は肩をいからせ、
「お前・・・ずいぶんとこの竜悴公(ドラキュラ)・ブラドを虚仮にするじゃねぇか」
 俺の言葉にキレたのか、怪物――いや、ブラドとやらは苛立たしげな声でそう言った。
 いいぞ。怒りは行動を単調にさせる。その分、俺が生き延びる確率が砂粒程度は上がる。
 しかし・・・、と俺はちらりと銃に目を向ける。
 銃はもう使えない。撃ったところで全く効いてないってのも問題だが、なにより発砲音(おと)がでかい。電灯に虫が集まるみたいに、銃声につられてこいつの仲間が来る可能性はある。
 ――となれば。
「・・・それは、何の真似だ?」
「テメェを倒す準備だよ」
 ブラドの質問に簡潔に答え、俺は『拳銃を仕舞いながら』、素手での構え(ファイティングポーズ)を取った。
 これが、俺の答えだ。
 やつに銃は効かない。何十発撃ち込もうと、あの速度で回復されては意味がない。それに、銃声は敵を呼び寄せる。
 刀剣類もおそらく無駄だろう。おそらくあれは、外傷に対する治癒能力。それが超能力(ステルス)によるものか、それとも個人的な機能なのかはわかんねぇが、銃弾にだけ有効ってわけじゃなさそうだ。
 ――だが。
 だったら、それ以外の攻撃方法ならどうだ?
 俺は、両の手首(リスト)にあるスイッチをオンにする。『スタングローブ』が起動し、スタンガン機能が動き始める。
 装備科(アムド)の天才・平賀文が作成した、手首型スタンガン。これが俺に残された、唯一の攻撃方法だ。
 確かに、外部に傷をつけても意味は無いかもしれない。だが、内部なら? 感電という手段なら、ひょっとすると倒せるんじゃないか?
「素手で俺を倒す、だと? ゲハッ、ゲハッ・・・ゲゥゥゥァバババババッ! おもしれぇ! おもしれぇぞ、餓鬼! そんな間抜けは、古今東西いなかった。シャーロックも、アルセーヌも、ジャンヌ・ダルクも、どいつもこいつも武器でオレを殺そうとしてきた! やれるもんならやってみろォ!」
 未だその場から動いてさえいないブラドは、呵呵大笑しながら、俺に槍のように鋭い爪を向けてくる。
 悪いが、俺は一緒になって笑ってやれねぇよ。代わりに膝が笑ってんだ。これで許せよな。
 恐怖で、俺はもうぶっ倒れそうだ。なんせ、俺が考えたことはつまり、ブラドと接近戦(インファイト)で戦うってことだ。そんな自殺志願者みたいな真似、本当はしたくない。
 ――でも、やる。一発殴ると、そう決めたんだから。
 だから。
 だから。
 だから。
 ――行け!
「お、あああああああああああああああああッ!」
 俺は叫びながら恐怖を誤魔化し、ブラド目がけて走り出す。
 流れる視界。迫る巨躯。近づくほどに大きくなっていく怪物の姿に、自分の矮小さを思い知らされる。
 走りながら、俺は防弾制服の内側から抜き取ったダガーナイフを、ブラドに投擲する。
 狙いもなにもあったもんじゃないそれは、柱のようなブラドの剛腕にあっさりと弾き飛ばされる。
 でも、それでいい。これで片腕は一瞬封じた。
 その隙に俺はさらに距離を詰める。勝負は一瞬。チャンスは一度。一撃にかけろ・・・!
「舐めるなァ!」
 ブラドがまだ自由にできる左腕を、俺にむかって横薙ぎしてくる。
 思った通り、その速度はあまり早くない。剛腕ゆえに、動きはノロい。破壊力のみを追求したかのようなその腕じゃ、大した速度はだせねぇだろ・・・ッ!
 だから、ここだ。この一撃だけは、なんとしても避けろ!
 俺は、心臓が爆音を上げていることに気付きながら、思いっきり身を屈ませる。
 頭上で、とんでもない質量が通り過ぎたのがわかった。ブラドの腕だ。風圧に、髪が持って行かれるかと思った。
 でも、避けた。連続じゃ無理かもしれねぇが、一度だけなら避けられる。
 ありがとよ、蘭豹。あんたとの格闘訓練(ストライキング)で、文字通り豹みてぇな俊敏さを見慣れてなかったら、この結果はなかったかもしれない。
 俺は歯を食いしばり、顔を上げる。
 目の前には、黒い剛毛に包まれたブラドの上半身があった。俺はそのうち、シルエット的に心臓がありそうな左胸に視線を飛ばす。
 ダンッ! と、地を踏み鳴らす。弓のように右腕を引き絞り、上半身を捻転させる。
 そして。
 解放された俺の右拳が、ブラドの左胸に叩き込まれる――その、寸前。

「きゃあっ!?」と。
 離れたところで悲鳴が上がった。

 な、に・・・?
 俺は咄嗟に、その方向を見てしまった。
 そこでは、金の長髪をしたメイドの少女が、頬を手で抑えて蹲っていた。その手の間からは、真紅に染まる血が流れている。
 まさか・・・ブラドが弾いたナイフが、あの子に当たったのか!?
 思考に一瞬、空白が生まれる。直接の原因はブラドだし、そもそも運が悪かったというだけの話の上、あの子は敵のメンバーだ。俺には関係ない。
 それでも、彼女を傷つけたのは、俺が投げたナイフだ。そこに罪悪感と、心配する感情が出てしまった。
 そして。
 それは、明確な隙になる。

「――死ねよ」

 端的な、宣告だった。
 直後、大砲のような拳が、上半身をねじっていた俺の背中を強打した。
 いや、強打なんてもんじゃない。それは、爆破されたようなものだった。俺の体が、まるで木の葉のように舞い、数メートルはあったはずのホールの壁まで弾き飛ばされ、激突しながら止まった。
「が、ァ・・・!?」
 意識が飛びかける。額を壁にぶつけたのか、激痛と共に視界に血が映った。
 そんなことを考える間に、俺の体は落下して、床に打ち付けられた。喀血まじりの息が、口から吐き出される。
 生きているのが不思議なくらいだ。防弾制服と、背中に差していた柳葉刀のおかげだろう。殴られるとき、背中から柳葉刀が折れる音が聞こえた。あれが無かったら、折れていたのは多分背骨の方だっただろう。
 そんなことをぼんやり考えていた思考が、千千(ちぢ)に切れかける。ブラックアウトが始まり、意識が落ちそうになる。
 ふ、ざけんな・・・! このまま終われるかよ・・・ッ!
 俺は咄嗟に、右拳を左腕に叩き付ける。瞬間、さっきは不発だったスタンガン機能が作動し、俺の体に電流を流し込む。
「ぎ、ぁ・・・!?」
 ビクンッ、と一度俺の体が跳ねた。単純に、痛い。
 だが・・・意識は、戻ったぞ。防弾制服には、わずかだが耐電効果がある。加えて、この電気に俺は、数時間前に晒されている。強引ではあるが、気付けには成功したらしい。
 俺は、震える腕を杖のように地面に突き立て、体を持ち上げる。
 まさしく満身創痍といったところだが、まだなんとか立てなくはない。悪いが、こちとら武偵なんだ。打たれ強さには、一家言あるんだよ。
 俺は、ふらふらになりつつも立ち上がり、ぜいぜいと息を吐きながら、ブラドに眼光を飛ばす。やつは、振りぬいていた拳をぷらぷら振りながら、俺を眺めていた。
「ほう・・・その状態で立つとはな。おもしれぇ武器(もん)持ってんじゃねぇか。お前のか?」
 ブラドの言葉に、俺は舌打ちをしたい気分になる。
 クソ・・・『スタングローブ』がバレた。こんなもん、一発芸みたいなもんだ。一度外せば、『そういう武器』だと認識されてしまう。
 俺は息も絶え絶えになりながら、
「い、いや・・・借りモンだよ、こい、つは・・・」
 と、再び意識を失わないように口を動かす。
 事実、この『スタングローブ』はあややに借りたもんだ。俺の力じゃないしな。
 と、その時、離れたところから声があがった。
「ご、ごめんなさい・・・! リサの、リサのせいで・・・っ!」
 視線を向けると、メイド姿の少女が、涙をぽろぽろ零しながら俺に向かって謝っていた。
 やっぱり、この子はこれまで会ったメンバーとは毛色が違う。本気で、俺に対して申し訳なく思っているらしい。
 もちろん思うところがなかったわけじゃないが、俺はとりあえず、こっちが恐縮するほど謝っている少女に向けて言葉をかける。
「気に、すんなよ・・・あんたのせいじゃねぇ・・・」
「勇者様・・・」
 唇をわななかせながら呟かれた言葉に、俺は思わず苦笑する。
 さっき俺が名乗った勇者なんて呼び名を、この子は律儀に呼んでいる。それが少し、肩の力を抜かせた。
 そんな中、ブラドが呆れたように首を振り、
「ジェヴォ―ダン。お前は一体、どっちの味方だ? まあ、仲間意識なんざここではあってねぇようなもんだけどな・・・ま、今はお前はどうでもいい。それよりだ、糞餓鬼。お前は、一体なんでまだ立ち上がる?」
「あ・・・?」
「その傷、軽くはねぇだろう? なのに、なぜまだ俺に歯向う? 実力差がわからねぇのか。そこで転がってりゃ、楽に殺してやったのによォ」
「・・・・・・」
 ブラドの指摘に、俺は即座に返答できなかった。
 あいつが言ってることは間違ってない。どうせ殺されるなら、こんなに頑張る必要なんてない。
 けど、違う。
 そういうことじゃねぇんだ。殺されるとわかっていても、それでも俺は戦う。
 その理由なら、俺はいくらでも挙げられる。
「お前が、俺の大切な奴を、傷つけたからだ」
「あん?」
 片眉を跳ね上げるブラド。俺は、なおも構わず言葉を続ける。
「お前が一体なにをやったのか、そんな具体的なことはわかんねぇよ。でもな、お前は俺が大切に思ってるやつを泣かせたんだ。だから、俺はテメェが許せねぇ。だから俺は、お前をぶん殴るって決めたんだ」
「その結果、お前が死んでもか?」
「たとえ俺が死んでもだ」
 もう、俺はろくに戦えない。俺の体は、とっくに敗北を認めてる。
 けれど、心でも負けちまったら、ここで飛び出した意味が本当になくなっちまう。せめてこいつに刻み付けろ。俺が心底こいつをぶっ飛ばしたいって気持ちを、前面に押し出せ。
 俺は、眼前の怪物を睨みつける。俺にできる、ちっぽけな抵抗だ。
 それを見て、ブラドはやはり俺をあざ笑った。
「くだらねぇ。塵みてぇな命を、そんなことに散らすとはな。だったら望み通り一ひねりにしてやるから、遺言の一つでも言ってみたらどうだ?」
 ずずん、ずずん、と重量を感じさせる重い足音を響かせながら、ブラドは一歩一歩こちらに歩いてくる。
 それはそのまま、俺の命が消えていく音と同義だった。
 体は動かない。逃げ出す体力すら、もう残っていない。
 だから俺は最後の力を振り絞って――ブラドに向けて、『笑いながら中指を立てた』。
「『次は』ぶちのめすぞ、獣野郎」
「つまらねぇ遺言だな」
 精一杯の強がりに、ブラドは鼻を鳴らす。
 そしてついに――奴は俺の目の前まで来た。
 ゆうらり、と右腕が持ち上げられる。それはまるで、死神の鎌のように見えた。俺の命を一瞬で刈り取る、冥府からの使者だ。
 ああ・・・死ぬのか、俺。
 どこか冷静な頭で、俺は理解した。
 当たり前の結果だ。これは。見て見ぬふりして逃げ出せばよかったのに、馬鹿だよなぁ、俺は。
 俺が死んで、泣いてくれるやつはいるだろうか。・・・うぬぼれでなければ、何人か思い浮かぶ。悪ぃな、みんな。勝手にくたばっちまって。
 そんで・・・悪い理子。助けにきといてこのザマだ。ホント、情けねぇよな、俺は。
 脳裏にいくつもの顔が浮かんでくる。俺の場合、走馬灯はどうやら大切な連中の顔だったらしい。
 人生で最後に浮かぶ光景がそれだったことに、どこか誇らしげになる俺に。

 ――死神の鎌が、振り下ろされた。

「勇者様っ!」という声が、耳に届く。
 最後に聞く声が敵方のものかよ、と笑い――

 そして、ブラドの腕(しにがみのかま)が、『本物の鎌に弾かれた』。

 ガギィィィッッ! という轟音とともに、濃紺に彩られた鎌が滑る。
 衝撃に打ち負けたのは、ブラドの方だった。
「あァ・・・!?」
 右腕を大きく逸らされたブラドが、困惑の声を上げる。
 そして、困惑しているのは俺も同様だった。
 今――信じられないことが起きた。
 俺が叩き潰される、その寸前。俺とブラドの間に誰かがとんでもない速度で割り込み、一瞬のうちに手の中に現れた大鎌でブラドの攻撃を防いだんだ。
 呆然と口を開ける俺に、大鎌の使い手は、こちらに振り返った。
「――大丈夫かしら?」
 ハープのような、流麗な声だった。
 そしてその声の持ち主は、声音以上に神秘的だった。
 振り返った顔は、神話で語られてもおかしくないほど、俺がこれまで出会ったどんな女性よりも美しかった。黄金比と言う言葉があるが、まさしくそれだ。
 草色のロングスカート・ワンピースに包まれた肢体は、ふくよかでいてどこか包み込む母性のような雰囲気を醸している。背中に垂れた三つ編みの茶髪も、透き通るほど艶がある。
 両手に構えた濃紺の大鎌こそ異彩を放っていたが、文句なしの美人だった。
 こんな人、一度会えば誰だって忘れないだろう。
 だから、『俺も忘れていなかった』。
「あんた・・・あの時の・・・!」
 驚愕に、俺は目を見開く。
 そして思い起こされるのは、去年の12月。とある人の葬式の日に出会った、絶世の美人。
 まさしく今眼前にいる人と、寸分たがわぬ美貌だった。
 どうしてここに――と咄嗟に訊ねようとする俺に、彼女は人差し指をちょんと俺の唇に押し当て、
「話は後。まずは、逃げましょう?」
「え?」
 青みがかった瞳で薄く微笑み、どこから取り出したのか、一発の弾丸を宙に放り投げた。
 瞬間。
 その弾丸が『爆発』し、急激に白煙がホール内を満たした。
「うわっぷ・・・っ!?」
 これは・・・武偵弾『煙幕弾(コルティナF)』か!?
 一発100万円は下らないという、一流の銃弾職人(バレティスタ)が作成する特殊弾頭。それが武偵弾だ。今この人が投げたのはおそらく、そのうちの一つで、煙幕を作り出す武偵弾だろう。
 そんなもんを持ち歩いてるとか、一体何者なんだこの人・・・!?
 と思っていたら、急に肩を組まれた。耳元でさっきの女性の声が囁かれる。
「強引でごめんね? けど、こうなった以上、急がないといけないの。走れる?」
 この人がなぜ俺を助けてくれるのかはわからない。
 だけど本能的に、俺は返事をしていた。「はい」、と。
 途端、俺は引っ張られるように走り出していた。どこを目指しているのかはわからない。ただ、引かれるままに足を動かす。
「カナァ! テメェ、どこだ出てこいッ! バラバラに引き裂いてやるぞ!」
 白煙で煙る視界の中、ブラドの声が響く。
 しかしそれを無視して、俺たちはホールの出口にたどり着く。この煙幕の中、よく出口がわかるな、この人。
 そして俺たちは廊下に飛び出し――そこで俺の足から、がくんと力が抜けた。
 やばい、今になって足にダメージが・・・!?
 倒れる――と思ったその瞬間、
「――恥ずかしいかもしれないけど、我慢してね男の子」
「へ? ・・・うわっ!?」
 女性――おそらくカナという名前だろう――カナさんが、俺をひょいと持ち上げ、そのままいわゆる、その・・・お姫様抱っこされてしまった。
 やめろ・・・やめてくれ! 俺を悶死させる気か!
 しかしダメージの抜けきらない体は逆らうことができず・・・さらに最悪なことに、助かったことへの安心感からか、まぶたが下がっていく。
 あ、こら、おい。なに気絶しようとしてんだ俺! 耐えろ、このままこんな恰好でいいのかよ?!
 しかし脳内抗議は受理されず・・・俺はそのまま、眠る様に意識を落とした――

 * * *

 体内に撃ち込まれた3発の弾丸を、ブラドは無限回復により即座に治癒していた。
 ――無限回復。
 それはブラドが、否、彼の一族『吸血鬼』が持つ特殊能力だ。『魔臓』という特殊な体内器官が健在である限り、彼らはいかなる外傷であろうとも1秒もあれば完治してしまう。現に今も、瞬きの間で赤い煙を上げながら、治癒は完了していた。おまけに、銃弾は異物として、すでに体外に排出済みだ。
 だから、撃たれたこと自体は問題ない。たとえ何十発この身に撃ちこまれようとも、その分回復するだけなのだから。
 問題は。
 その、着弾箇所だった。
「・・・オイ。お前、どこで『これ』を教わった?」
 ブラドは、遠来のように喉を鳴らせつつ、発砲した少年に詰問する。
 ブラドが撃たれたのは、両の肩に1発ずつと、右わき腹に1発。丁度、ブラドの上半身に描かれた3つの目玉模様に、だ。
 そして、なによりそれが問題だった。
 先述したとおり、ブラドには無限回復がある。しかしそれは、『魔臓』という器官が健在ならばの話だ。
 体内に4つある『魔臓』。そのうち3つは、まさに今しがた撃たれた目玉模様の位置にあった。
 無論、これはブラドの意図したものではない。ブラドはその昔、『バチカン』――イタリア・ローマに根を張る宗教組織から送り込まれた聖騎士(パラディン)により秘術をかけられ、『魔臓』の位置が目玉模様として浮かび上がるようにされてしまったのだ。
 ゆえに、ブラドにとっての目玉模様は、そのまま弱点に直結する。幸い『魔臓』は4つ同時に破壊しなければ相互回復で復活するが、それでも弱点を知られているのはまずい。
 そもそも、この弱点を知る者は少ない。いるとすれば、『イ・ウー』のメンバー。しかしそれでも3つ目までしか知らないはずだ。
 残る可能性としては――
「ローマでちょっとな。心配すんなよ、なんならもう使わねぇでやろうか?」
 少年が、あざけるような口調でそう言った。
 やはり、この少年は『バチカン』の関係者らしい。ブラドに消えない刺青を刻んだ奴らなら、『魔臓』の位置が伝わっていても不思議ではない。それでも、4つ目の位置が露見する前に襲撃者である聖騎士は撃退できたので、それは知られていないだろうが。
 しかしそれよりなによりブラドの怒りに触れたのは、少年の言い様だった。
「お前・・・ずいぶんとこの竜悴公(ドラキュラ)・ブラドを虚仮にするじゃねぇか」
 ブラドには、夜の王としての矜持がある。
 数百年の時を生き、そして生物の上位種として君臨してきたその年月こそが、ブラドを傲岸不遜な暴君へと変えていた。そんな自分に対し、上から見下ろすかのごとき発言。到底許せるものではなかった。
 怒りに、真紅の両目をさらに紅く輝かせるブラド。
 しかしその直後、彼の怒りは形を変えた。
「・・・それは、何の真似だ?」
「テメェを倒す準備だよ」
 ブラドの問いかけに、少年はあっさりと答えた。
 少年は、両腕を前に構えたボクシングスタイルを取っていた。その両手には、なにも握られていない。銃も剣も何一つ、だ。
 それが示す答えは明白だった。
 つまり。
 少年は己の拳一つで、不死の怪物ブラドを打ち砕こうとしているのだ。
「素手で俺を倒す、だと? ゲハッ、ゲハッ・・・ゲゥゥゥァバババババッ! おもしれぇ! おもしれぇぞ、餓鬼! そんな間抜けは、古今東西いなかった。シャーロックも、アルセーヌも、ジャンヌ・ダルクも、どいつもこいつも武器でオレを殺そうとしてきた! やれるもんならやってみろォ!」
 ブラドは、内心から溢れる面白さを隠そうともせずに笑い、挑むように伸ばした人差し指を少年に突きつける。
 そして、内心で嗤う。
(そんなちっぽけな腕でオレを倒せるというなら、やってみやがれ。オレはいつも通り、そういう思い上がった馬鹿を殺すだけだ)
 ブラドに容赦するつもりはない。殺しなら、今までの時間の中で飽きるほど行った。いまさらそこに新たな骸(むくろ)が増えようとも、なんの感慨もわかない。
 だから。
 叫びながら走り込んでくるあの哀れな少年の命もまた、ロウソクの火を吹き消すように散らしてやろう。
 ブラドは迎え撃つために、両手を大きく広げて待ち構える。
 そこに、少年がダガーナイフを投擲してきた。
(――フン。くだらねぇ)
 ブラドは一切恐れることなく、飛来したナイフを右腕で弾いた。
 そこに大きな意味は無い。もちろんナイフが刺さったところで、ブラドはすぐに完治するだろう。しかし、払える羽虫は払うに限る。ただ鬱陶しいから払った。ブラドにとっては、ただそれだけの行為だった。
 しかし、それこそが少年の狙いだったらしい。ブラドに生じたわずかな隙に、少年は距離を詰めていた。
「舐めるなァ!」
 ブラドは、樹齢を重ねた大木のような左腕を、少年の頭めがけて薙いだ。
 直撃すれば、トマトのように潰れてもなんらおかしくない一撃。しかしその攻撃は、少年が身を屈ませることで回避された。
 これで、ほんの数瞬だが、ブラドに決定的な隙ができた。
 次に来るであろう少年の反撃を、ブラドは甘んじて受けるつもりだ。どのような攻撃であれ、ブラドの無限回復を抜けるとは思えない。
 だがその反撃が来る前に、離れた位置からリサの悲鳴が聞こえた。
 そちらを見ずとも、何が起きたかはわかっていた。おそらく、さきほど弾いたナイフがリサ目がけて飛んだのだろう。なにせ、『そうなるように弾いたのだから』。
 リサの悲鳴は、ブラドの血流を熱くさせた。これでまた、変身時間は伸びるだろう。
 たった、それだけ。ブラドが狙っていたのは、たったそれだけだった。
 しかしこの行動が、思わぬ結果を引き起こす。
 なんと、少年が悲鳴につられて視線をブラドから逸らしたのだ。まさに千載一遇、そのチャンスを捨てるような愚かな行動だった。
 そして。
 ブラドは、そんな間抜けを見逃しはしない。
「――死ねよ」
 ナイフを弾いた右腕を、そのまま振り子のように引き戻し、少年の背中に叩き付けた。
 バギンッ! と何かが砕けるような音が響き、ブラドの剛毛越しに、固いものをたたき折ったような感触が伝わる。
 水平に吹き飛ぶ少年を目で追いながら、ブラドはほくそ笑む。
(今のは、背骨壊(い)ったか? それにしちゃ音が甲高かった気がするが・・・まあ、最近は串刺しばかりだったからなァ。『折る』感触すら忘れちまったぜ)
 ブラドの剛毛は、それそのものが鎧に等しい。大抵の衝撃を吸収し、さらに像のごとき分厚い皮膚が体内を守っている。
 ゆえに、触覚が鈍いのが難点だ。現に今も、曖昧になにかを折ったとしかわからない。まあ、この状況なら十中八九背骨だろうが。
(これで終わりか。あの威力で骨を折ってやったんだ。立ち上がることもできねぇだろうよ)
 ブラドは静かに、戦闘の終了を確信する。己の完勝、という形で。
 しかし。
 地面に落下した少年が右拳を左上腕部に叩き付けると、拳から稲妻が小さく迸った。
 さらに、あろうことか立ち上がったのだ。激痛とショックで到底まともに動くことすらできないと踏んだ、その体で。
 そこには、なにか理屈があるはずだ。根性論など信じないブラドは、そう睨んだ。
 そして、気づく。
(あいつが自分で自分を殴った瞬間、稲妻が奔ったのが見えた。自分(テメェ)の体に電気を流し込んだのか? てこたァ・・・電流による肉体操作、か)
 人体の駆動は、結局のところ電気信号で行われている。そして、その電気信号そのものを扱えるとすれば、人体を思うがままに操作することができる。痛みから行動にストッパーがかかった状態であっても、だ。
 電気の超能力者(ステルス)には、そういった芸当ができるものがいると聞く。娘のヒルダも電気を操れるが、そういった細かい操作は向いていないらしい。力の大小ではなく、向き不向きの問題だ。
 となれば、少年が動けていることにも納得がいく。
 そしてそれはブラドにとって、あるいは『収穫』のチャンスかもしれなかった。
「ほう・・・その状態で立つとはな。おもしれぇ能力(もん)持ってんじゃねぇか。お前のか?」
 ブラドは少年に、その超能力は天然のものかと尋ねる。
 超能力者には、2種類いる。一つは、生まれつき超能力を備えた天然の超能力者。そしてもう一つは、『色金(イロカネ)』という特殊な鉱石によって超能力を扱う、擬似的な超能力者だ。リュパン家の秘宝である十字架――それに使われる鉱石を使用して超能力を扱う理子は、後者にあたる。
 そして、天然の超能力者は、血筋によって生まれる。つまり、その遺伝子に刻み込まれているのだ。超能力という、この世の神秘が。
 ブラドは、常に優秀な遺伝子を集めていた。吸血鬼に伝わる『吸血』――つまりは、血からその人物の能力を写し取るためだ。そうして繰り返される『吸血』により、ブラドは強固な個体へと成長していった。
 だから、この少年が『そう』ならば、殺す前に血を抜き取る腹積もりだったのだが、
「い、いや・・・借りモンだよ、こい、つは・・・」
 少年は、今にも消えそうな声で否定した。
 つまりは、これで少年をわずかでも生かす理由が消え去ったのだ。
 なにやらリサと『お遊戯』している少年をつまらなそうに見据え、ブラドはゆるゆると首を振った。
「ジェヴォ―ダン。お前は一体、どっちの味方だ? まあ、仲間意識なんざここではあってねぇようなもんだけどな・・・ま、今はお前はどうでもいい。それよりだ、糞餓鬼。お前は、一体なんでまだ立ち上がる?」
「あ・・・?」
「その傷、軽くはねぇだろう? なのに、なぜまだ俺に歯向う? 実力差がわからねぇのか。そこで転がってりゃ、楽に殺してやったのによォ」
 完全に少年を殺す気になったブラドが、最後の暇つぶしとばかりに少年に訊ねる。
 実際、ブラドにはわからなかった。なにが、ここまで少年を駆り立てるのか。
 なかなかに珍しい能力を持ってはいるようだが、しかしそれだけだ。銃弾は効かないし、体は満身創痍。すでに勝負は決したといっていい。
 ならば、できることなど、おとなしく死を受け入れるか、わずかな可能性にかけてみっともなく逃げ出すか。それくらいしかないだろう。
 しかし少年は、そのどちらも選んでいなかった。死を覚悟した者でも、実力差に怯えた者の目でもなかった。
 その深い黒瞳は、死んでいなかった。
 そして。
 少年は、答えを出す。
「お前が、俺の大切な奴を、傷つけたからだ」
「あん?」
「お前が一体なにをやったのか、そんな具体的なことはわかんねぇよ。でもな、お前は俺が大切に思ってるやつを泣かせたんだ。だから、俺はテメェが許せねぇ。だから俺は、お前をぶん殴るって決めたんだ」
「その結果、お前が死んでもか?」
「たとえ俺が死んでもだ」
 言葉とは裏腹に、少年の目は決して折れない強さを秘めている。きっと、首を切り落としたところで、その強さは褪せないだろう。
 けれど。
 ブラドにとって、それは実にくだらない解答だった。
 少なくとも、殺すことを止める理由には全くならなかった。
 ――だから。
 夜の王ブラドは、少年の命を終わらせるために動き始めた。

 * * *

 ――そして。
 少年の『答え』を聞いたものが、あと『2人』いた。
 一人は、リサ・アヴェ・デュ・アンク。自分の失態で窮地に立たされたのに、恨み言一つ言わずにブラドに啖呵を切った少年の強さに、リサは瞳に涙を溜めながら、魅せられた。
 もう一人は、戦場となった第3ホールの外にいた。
 ホールの出入り口。その扉に寄りかかりながら、絶世の美人が少年の声を耳にしていた。
 彼女は、『イ・ウー』構成員・カナ。本名を、遠山金一という。
 ヒステリア・サヴァン・シンドローム――通称『ヒステリアモード』。彼の家に伝わる特殊体質、そのトリガーは性的興奮とされている。しかし、金一は女装による『それ』が、ヒステリアモードの発動条件に足ることを発見していた。
 つまりはこの女性――カナは、金一の女装姿であり、ヒステリアモードが発動していることを示唆している。
 ではなぜそんな状態でこんな場所にいるのか?
 ――その理由は、数十分前に遡る。
 とある任務から帰った金一が『教授(プロフェシオン)』に報告を済ませ、自室に帰ると、脱ぎ散らされたコートとウィッグ。そして、己の顔を模したマスクが出迎えた。
 この時点で、金一は何かが起こっていることを察した。この変装道具は確か、自分より階梯が下の峰理子が持っていたものだ。しかし彼女は今、この艦を出ている。
 となれば、誰か別の人物が使用したということになるが・・・こんなものを使って遊ぶのは、メンバーでは理子くらいのものだ。
 つまり、ほとんどあり得ないことではあるが――侵入者の可能性がある。そいつが理子の部屋から変装道具を盗み、利用した可能性だ。
 この時点で、金一はカナへと『変身』を始めた。服を着替え、化粧をし、髪を三つ編みにする。本家ヒステリアモードは、場合によっては一瞬でなることができるが、金一流ヒステリアモードはその性質上、時間がかかる。
 ようやく完全に(それこそ人格ごと)変わったカナは、室外に出て異常を探し始める。
 そして、その数分後のことだった。ヒステリアモードで強化されたカナの聴覚が、銃声を捉えた。
『イ・ウー』内は私闘が禁止されていないとはいえ、さすがに艦内での発砲など滅多にない。胸騒ぎを感じたカナは、急ぎ銃声の発生源へと向かう。
 そしてたどり着いた、ボストーク号第3ホール。そこでカナが見たのは、『イ・ウー』内でナンバー2の序列を誇る怪物ブラドと、一人の少年が対峙している姿だった。
 カナは、扉の隙間からそっと様子を窺う。
(あの制服、キンジと同じ東京武偵高の生徒? そんな子がどうして・・・)
 カナ――いや、金一には一人の弟がいる。
 名を、遠山キンジ。東京武偵高に通う、2年生だ。
 そのキンジと今ここにいる少年は同じ制服を着ていた。なぜ、武偵高の生徒がここにいるのかは、聡明なカナであってもわからない。
 ただし。
 その少年が『誰』であるかはわかった。
(あの子・・・有明、錬君?)
 黒髪の隙間から見えた横顔に、カナは見覚えがあった。
 彼は、弟であるキンジの友人だ。カナが彼に出会ったのは、たったの2回(正確には1回だが)。しかし、武偵の中でもなかなかいないような鋭い眼光は、記憶に残っていた。
 なにより。
 彼は、弟の『恩人』だったのだから。
(どうして・・・どうして、君がこんなところにいるのッ! それも、ブラドの前になんて・・・!)
 カナは、らしくなく顔を歪めながら歯噛みする。
 なぜなら、カナにはわかるからだ。どのような理由であれ、錬とブラドは対峙している。ブラドの足元に銃弾が転がっていることから、錬が発砲したことは読み取れる。つまりは、戦闘状態なわけだが・・・その結末は、錬の死以外にあり得ない。それほどまでに、『イ・ウー』のメンバーは常識はずれの強さを誇っていた。
 とはいえそれはこのままならばの話だ。ここでカナが錬を助けに割り込めば、話は変わってくる。
 しかし。
 それは決して叶うことはない仮定だった。
(ごめんなさい・・・私には、使命がある。あなたを助けることはできないの・・・っ)
 カナは、視線を下向けて体を震わせる。
 ――もともと武偵であったカナ・・・金一が犯罪組織である『イ・ウー』にいるのには、理由があった。
『潜入捜査(スリップ)』。
 つまりは、仲間のフリをしていたのだ。金一は。そうして『イ・ウー』の懐深くまで入り込み、彼らを殲滅する。それが、金一が『イ・ウー』にいる理由であり・・・去年の12月、浦賀沖で豪華客船アンベリール号をジャックした『武偵殺し』理子の誘いに乗り、表の世界から姿を消した理由だった。
 その狙いは、もうすぐ叶う。正確には、そのチャンスが巡ってくる。
 だから金一はいまここで、組織を裏切るわけにはいかなかった。たとえ、弟の恩人を見殺しにしてでも、だ。
 この苦しみは、何度も味わった。犯罪組織である『イ・ウー』に籍を置いてからというもの、人が人を殺す場面を何度も見てきた。武偵として、そして正義の味方を代々行ってきた遠山家の人間として、絶対に誅しなければならない悪を、幾度となく見逃した。悪の元凶――『イ・ウー』を丸ごと、叩き潰すためと言い聞かせながら。
 それでも、慣れない。いつだって、金一は苦悩してきた。正義を志しながらも悪を見逃す、その矛盾に。
 今もまた、金一は心を裂く。本当は今すぐ飛び出すべきだとわかっているのに、大義のためにそれができないでいる。
 そんな中。
 メンバーであるリサの悲鳴に次いで、轟音が響いた。
 ハッとして、カナは顔を上げる。その視線の先で、壁に叩き付けられた錬がぼてりと落下するのが見えた。
 ほんの一瞬、また見殺しにしてしまったのかと黒い感情が湧き上がりかけるが、錬は弱弱しくも立ち上がった。
 それにほっとするも、状況はなにも変わっていない。結局、錬が殺されることは変わりない。むしろ、現状から錬に対抗する実力が無いことを悟り、さらに悪い事態に見えた。
 絶体絶命。普通なら、泣きわめきながらみっともなく逃げ出してもおかしくない。
 ――けれど。
 そんな窮地に立たされてなお、有明錬は言い切った。
 
 たとえ、死んでも。
 大切な人を傷つけられたから、戦うのだと。

 その言葉を聞いた、瞬間。
 カナは、有明錬の中に『義』を見た。遠山家がなによりも守り続けた、『正義の心』。理屈云々ではなく、ただ正しく在る。その生き方を、カナは錬を通して思い出した気がした。
 そして、『もう一つ』。
 カナは、とある『約束』を思い出していた。

『有明錬君。あの子を助けてくれたお礼を、いつか必ずするわ。その時がいつになるかわからないけれど・・・もしかしたら、してあげられないかもしれないけれど・・・勝手に、約束する。いつの日か、私はこの感謝を形にして、あなたに返すわ』

 その『約束』を思い出して。
 カナは、「しかたないわよね」と小さく呟いた。
(約束を破っちゃったら、おじいちゃんに拳骨もらっちゃうもの。それは、嫌だわ。とっても、嫌・・・だから、そう。これは、しかたないことよ)
 自分にか、それともこんな気持ちにさせた錬にか、カナは困ったように笑う。

 ――カチリ、と。
 固く閉ざした心の扉が、開く音が聞こえた。

 錬の、言葉が。姿が。まさしく、その鍵だった。
 カナの視界では、とどめを刺そうとするブラドが、すでに錬のすぐ近くまで立っている。
『「次は」ぶちのめすぞ、獣野郎』
『つまらねぇ遺言だな』
 この期に及んで、『再戦』を挑む気でいる錬に対し、ブラドが岩塊のように頑強な右腕を振り上げる。
 その時にはもう、カナは走り出していた。ぐんぐんと、ブラドと錬に近づいていく。
 そして、2人の間に割り込み、振り下ろされたブラドの腕を、髪の毛の中にバラして収納していた連結鎌――『サソリの尾(スコルピオ)』を瞬時に組立て、迎撃した。
 鈍い音を響かせながら、ブラドの腕が宙に跳ね返される。そのことにか、それともカナが割って入ったことにか、ブラドが困惑の声を上げながらたたらを踏んだ。
「――大丈夫かしら?」
「あんた・・・あの時の・・・!」
 振り返って訊ねたカナに、錬が間髪入れず口を開く。
 覚えてもらっていたことに少しくすぐったくなりながらも、カナは錬を制して脱出を促す。
 それに対する明確な返事を待たずに、カナは袖口に隠していた武偵弾――『煙幕弾』を投げ、煙幕を張る。
 この弾丸は、武偵時代に手に入れていた武偵弾の一つだ。エアロゾルを空中に形成する、科学武偵弾(ケミカルDAL)。手投げでも使える優れものだ。
 煙幕にまぎれて部屋を脱出したカナは、体勢を崩しかけた錬を横抱きにしながら、さらに走る。目指す先は、ボストーク号唯一の脱出口であるドックだ。
 途中遭遇したメンバーは、相手が困惑しているうちにすり抜けた。見つからないように、など言っていられない。ここからは時間との勝負だ。
 やがてドックにたどり着いたカナは、気絶したらしい錬を器用に抱えながら、ドック入口に設置された操作盤に取りつく。ここから、潜水艇が出航するためのハッチを操作できるのだ。
 カナの操作により、ドックの下部で外海に繋がるハッチが開き始める。海水の流入と、別口からの排水が行われる。
 カナは、万が一のときのために小細工していた(電波から現在地を知られないようにする仕掛けなど)小型潜水艇『オルクス』の一つに、錬共々飛び乗った。
 そして即座に潜水艇の操縦を開始して、カナと錬を乗せた『オルクス』は、ボストーク号のハッチから、海へと飛び出した。
 すぐに捜索は出されるかもしれない。しかし、海は広大だ。ヒント無しで追いかけられるような、狭いステージではなかった。
 つまり。
 カナたちは、人外魔境『イ・ウー』本拠地から、瞬く間に脱出したのだった。

 * * *

「――ハッ!?」
 落ちるときはじんわりと落ちた意識は、唐突な覚醒を迎えた。
 一瞬俺がどうして気絶したのかわからなかったが、すぐに思い出した。
 ジャンヌが学園島に乗り込んできたこと。
 逮捕したジャンヌから小型潜水艇の隠し場所を聞いたこと。
 単身ボストーク号に乗り込んだこと。
 ブラドという怪物と戦って負けたこと。
 そして――カナという女性に助けられたこと。
 そこまで思い出した頃には俺の意識もはっきりし、状況を確認する余裕が出来た。
 今俺は、どこかのシートに座っているらしい。それも、完全な密閉空間らしく、四方を鋼鉄の壁に囲まれている。明かりはほとんどなく薄暗い。唯一の光源といえば、そこかしこに設置された速度計やなんらかの計器が放つ緑やらオレンジやらの光だけだ。
 ・・・すごく見覚えあるんだが、ここ。
 というかぶっちゃけ・・・、
「俺が乗ってきた潜水艇じゃねぇか・・・」
「あら、気がついた?」
「へ?」
 完全に独り言だったつもりの呟きに、返事が返って来た。
 ついでとばかりに、前に見えていた座席の背もたれから、ひょこっと女の人が顔を出していた。左目には、黄緑色の片眼鏡みたいなHMD(ヘッドマウントディスプレイ)がついている。スカウターかよ。
 その顔を、俺は知っていた。
 知っていたっていうか、
「カナ、さん・・・?」
「ハーイ、有明君。・・・あら? 私、あなたに名前教えたかしら?」
 ブラドに殺されかけた俺を助けてくれたとびきりの美人が、ひらひらと白魚みたいな手を振りながら、挨拶してきた。
「いや、それはブラドが名前言ってたから・・・てか、あん時もそうだったけど、どうして俺の名前を・・・いやそれよりこれはどういう状況なんで――痛ゥ!?」
 聞きたいことが多すぎて思わず身を乗り出した俺は、体に走った痛みに呻いた。
 おおお・・・い、痛ぇ・・・ッ!
「こらこら、ちゃんと説明してあげるから、無理しないの。ブラドと戦って五体満足なんて、奇跡みたいなものなんだから」
 潜水艇の操縦があるのか顔を引っ込めたカナさんから、諌めるような声で言われた。
 これ以上無駄に痛い思いをしたくないので、俺は素直に従う。
 気配で大人しくなったのを察したのか、「よろしい」とおどけたように言ったカナさんは、
「細かい話はまた落ち着いたらしてあげるから、とりあえず今必要な話だけ聞いたら、目的地に着くまでもう一度寝ておきなさい。船を止めたら、すぐに身を眩ませなきゃいけないんだから、それまでにできるだけ体力を回復させるの」
「目的地? この船は、どこに向かってるんですか?」
「それも含めての説明、よ。それと、敬語じゃなくていいわ。あなた、その怖い目で敬語使っても違和感あるわよ?」
 ちょっと失礼すぎませんかね?
「・・・わかったよ。敬語は無しでいかせてもらうわ。そんかわり、もう俺の目をからかうのやめてくれ。これでも気にしてんだ」
「りょーかい。これからは、『目のことで』からかうことはしないわ」
「なぜだ・・・これからあんたにからかわれ続ける予感がびんびんしやがる・・・ッ!」
「ビンビンだなんてそんな・・・エッチね、有明君」
「ほらもー! さっそくいじってくるし! つーか、あんたそんな女神みたいな顔しといて、下ネタオーケーな人なのかよ」
「ごめんなさい。口説いてくれるのは嬉しいけど、私ちょっと応えられないわ」
「どこらへんに口説いてる要素ありましたかねぇ?!」
 額に青筋を立てて、俺は頭を抱える。
 ああ、なんか久しぶりだこの感じ。この人、タイプはまた違うけど、時雨とか理子とかと同じ匂いがする。つまり、人をいじって楽しむ人間だろう。
 しかしまあ・・・たまに、救われたりするんだよな。こういう人には。
 今だって、さっきまで死にかけてたとは思えないほど、俺の気持ちは穏やかになっている。こういう気分はなんというか・・・悪くない。
 なんとも複雑な気分になる俺に、カナさんは語り始めた。
「まず、私があなたを助けてからホールを出たのは覚えてる?」
「ああ。それに関しては、ありがとう。おかげで命拾いした」
「どういたしまして。それで、私は気絶したあなたを抱えてこの潜水艇『オルクス』に乗って、ボストーク号を脱出したの。で、今はその『オルクス』で航行中ってわけ。ここまではいい?」
「そこまでは、なんとなく状況からわかってた。けど・・・あんた、一体何者なんだ? あの艦に乗ってたってことは・・・『イ・ウー』のメンバー、なんだよな?」
 俺の質問に、カナさんは一瞬言いよどみ、
「・・・それについては、また後でね。次に話しておくべきなのが、この潜水艇の目的地よ」
「・・・わかった。あんたのことについては今はおいとく。で、どこを目指してんだ?」
「香港。もちろん、聞いたことあるわよね?」
「馬鹿にすんなよ、中国だろ? ・・・で、その理由は?」
「一つは、ボストーク号が停泊していた海域から近かったから。もう一つは、逃亡先として都合がいいから」
「都合?」
「そ。香港・・・というか、中国にはね、大きな組織があるの。そして私は、そこに貸しがある。あわよくば匿ってもらおうってわけ」
 大きな組織・・・か。なんか、話がきな臭くなってきたな。
 しかも、逃亡って。別に俺、そこまでする気ないんだが。
「連れ出してもらっといてこういうのはなんだけどさ・・・俺、日本に戻りてぇんだが」
「そうしてあげたいけど、あなたも私も日本人だからね。たぶん、まっさきに網を張られてると思う。見つかって殺されるリスクが高いわよ?」
「うぐっ・・・」
 俺は思わず呻いた。
 まあ、そりゃそうか。仮にも犯罪組織にケンカ売ったんだ。それぐらいは考えとくべきだった。
 こうなったら、もうしかたない。とりあえずこの人味方っぽいし、言うこと聞いておこう。それが一番生き残る可能性が高い気がする。
「じゃあ、行先は中国ってことはわかった。でも、そこでどうするんだ?」
「ほとぼりが冷めるまで、身を隠すの。それに、私にちょっと事情があってね。長期間、身動きが取れなくなるの。だいたい、10日くらいかしらね」
「? どういうこった?」
「んー・・・そこを話そうとすると、いろいろ説明しなきゃだしなあ。とりあえず、それも保留」
「全体的に説明不足だろ・・・」
「実際、まとめて説明しちゃったほうが早いのよ。だから・・・うん。そろそろ寝なさい。中国に着いたら起こしてあげるから」
「・・・はぁ。わかった、わかりましたよ」
 この人もレキと同じだ。少なくとも今は言う気がないんだろう。で、多分これ以上無理に聞いても答えてくれそうにない。
 それならもう、言われた通りさっさと寝ちまおう。俺が学園島を出てどれくらい経ったかわかんねぇけど、ずっと気を張ってた上に、戦闘で大分体を痛めた。香港に着いてすぐ動くってんなら、確かに体力はなるべく回復させといた方がいい。
 そう判断した俺は、背もたれに体を深く預け、目をつぶる。お世辞にも寝心地がいいとは言えないが、まあ文句は言えない。
 途端、さっきまで気絶していたくせに睡魔が襲ってきた。意識の混濁が始まる。
 深く深く水の中に沈んでいくような感覚の中で・・・声が聞こえた気がした。
「――おやすみなさい有明君。良い夢を」

 * * *

 古めかしい蓄音機がイギリスのクラシックを流す、小さな部屋の中で。
『その男』は、薄く微笑んだ。
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